プロフィール

はじめまして。じんびこと青木仁美と申します。

私はキャリア開発や人材育成に関わる仕事をしています。特に、自己理解や他者理解を深めることで周りの人とのコミュニケーションをより良くし、より豊かな人間関係を築くことをテーマにしています。そのために、さまざまなアセスメントツールや実習、カウンセリングなどを学び、実践してきました。

「誰もが自分の個性、才能、持ち味を最大限に発揮して世の中に貢献する」

というのが私の理想の世界です。ここでは私がなぜ、そのように考えるようになったかをお話しさせていただきます。人間関係に悩んでいる人、自分の才能をもっと活かして働きたいと思っている人、今よりもっと活き活きと自由に生きたいと思っている人に少しでもお役に立てれば幸いです。

不幸を選んでいた10代から20代

10代から20代のころ、私の心は暗黒に包まれていました。特に何かあったわけではありません。今ならわかりますが、自分で不幸でいることを選んでいたのです。

「不幸でいることを選ぶってどういうこと?」と思われるかもしれません。私は自分自身と向き合い、幸せを探求する長い道のりのなかで、人はそのときの心の状態を自分で選んでいるのだということを知りました。これから私の幸せ探求の道のりについて書かせていただきます。

子供のころから自分は何か人と違うな、と感じることがありました。集団行動が苦手で、遠足や社会見学が何よりも苦痛でした。多くの子供たちが遠足を楽しみにし、前日の夜はワクワクして眠れないなか、私は違う意味で眠れない夜を過ごしていました。ゆううつで仕方なかったのです。

また、ランドセルや黄色い帽子も嫌いでした。せっかく親が買ってくれたランドセルもほとんど使わず、母親に懇願して別のカバンを使わせてもらっていました。そのときはなぜなのかよくわかっていなかったのですが、後になって、自分のことを理解していくうちに、皆と同じものを使うのが嫌なことや身に着けるものを強制されるのが我慢ならないことなど、自分の性格は幼い時から形成されていたのだと知りました。

他にも、自分が苦手なこと、あるいは興味や関心を持つことが、クラスの他の人たちとは違うのだと感じることがたくさんありました。

小学校の卒業文集の中に将来の夢を書く欄があったのですが、私はそこに「事業をやりたい」と書いていました。「自分の力で何かを成し遂げたい」とか、「自分のアイデアで世の中に貢献したい」とか、そんな高尚な想いがあったわけではありません。ただ単に、協調性がなく、人から指示されるのが嫌いな自分には会社勤めは無理だろうから、自分で事業をするしかない、と考えてのことでした。

クラスメートたちが「お花屋さん」とか「看護師さん」などと書いているなかで、私のところだけ異色だったのを覚えています。

そのように物心ついたころから、人と違うと感じ疎外感を覚えていたことや、人の気分に敏感すぎるところが影響していたのでしょう。また、思春期特有の羞恥心や自意識の高まりもあったかもしれません。いつのころからか、自分が恥ずかしい存在だと思うようになりました。周りとうまく付き合うことができず、友達がいても、適切な距離感がわからずいつも悩んでいました。大学生のころには自分は神様が作った失敗作なのかもしれないと考えていました。

とにかくその苦しみから解放されたくて、どうすれば幸せになれるのかと模索する日々でした。心理学、カウンセリング、自己啓発、ワークショップ、宗教、スピリチュアルなど、人の心に関するさまざまな本を読んだりセミナーに参加したりしてきました。自分の苦しみの原因を過去や親に求めたり、心をいやすワークをしたり、今度こそ何か変わるのではないかと期待しながら新しい本やセミナーに飛びつき、結局何も変わらないままでした。

人は何もなくても幸せになれる?

そのころに読んだある精神科医が書いた本のなかに、「何もなくても幸せを感じているのが普通の人間の心の状態だ」というようなことが書いてありました。それを読んだとき、私にはとうてい信じられませんでした。そのときの私はデフォルトの状態が「不幸」でしたから、「何もなくても幸せな人なんているはずないでしょ、そんなのありえない」とさえ思っていました。

また、その何年か後に自己啓発系のセミナーに参加したとき、講師から「家族も友人もいない、お金もない、仕事もクビになった。あなたには何も残っていない。それでも幸せでいられるのが本当の幸せだ」と聞きました。そのときもまだそういう状態が想像できませんでした。でもこれらのフレーズは私に強烈な印象を残しました。

暗闇の中、もがきながら幸せを求める日々が続いていました。ある日、当時付き合っていた恋人とささいなことでけんかになり、落ち込んだ気分のまま帰宅した夜、どうしようもない絶望感に襲われました。激しい無力感と虚無感のなか、二度と朝が来ないのではないかというような恐怖で動けなくなりました。どうすることもできず、布団の中で泣きじゃくりながら、いつの間にか眠っていました。

朝目覚めたとき、絶望感はまだ残っていましたが、それよりも強く、「もうこんな状態は嫌だ」「このままではいけない」と、変わらなければならないことをひしひしと感じたのです。

もう不幸でいることに飽きた。

そのとき以来、私の中で少しずつ何かが変わり始めていたようです。そして、ある一冊の本との出会いが私の人生を大きく変えました。

それはエックハルト・トール著の「ニューアース」という本でした。その本を読み始めたとたん、私が欲しかった答えがすべて書いてある気がしました。むさぼるように夢中で読み進めました。そして、最後のページまで読み終わるとまた最初のページに戻り、もう一度読み始めました。また最後まで読んだら最初に戻り、何度繰り返し読んだかわかりません。読むたびに気づきがあり、何度読んでも飽きませんでした。

この本で学んだことはたくさんあり過ぎて書き切れないのですが、まず、冒頭に書いたように「不幸」を選択していた自分に気づくことができました。不幸を求め、探し、その中に浸りきることで「可哀想な私」というアイデンティティにしがみついていたのです。

そして、「抵抗しない、判断しない、執着しない」という考え方を知りました。この3つのキーワードは私に生き方の指針を与えてくれました。そして「自分は大丈夫だ」と確信できるようになり、もう二度と後戻りはしないと思えるようになりました。一時的に落ち込むことはあっても、以前のようにそこに浸りきることはなくなりました。落ち込むことも立ち直ることも自分で選ぶことができるという感覚です。

以前読んだ、精神科医が書いた本にあった 「何もなくても幸せを感じている状態」や自己啓発セミナーの講師が言っていた「すべてを失っても幸せでいられる」ということが少しわかった気がしました。同時に、なぜそれらのフレーズがそんなにも印象に残ったのかも納得しました。10代から20代のころ、ただただ苦しくて、でも不幸の理由を探しても見つからなくて、いわば、「 理由のない不幸」を経験していたのは、反対に「理由のない幸せ」を知るためだったのだと、すべてがつながったのです。長い間闇に閉ざされていた私の心にぱっと一筋の光が差した瞬間でした。

理由のない不幸の闇の中にいたころ、私は自分のことも人のことも信じられませんでした。人からの好意も素直に受け入れられず、何か魂胆があるのではないかと疑心暗鬼になり、心に壁を作っていました。傷つかずにすむように心を開かず、ひとりぼっちの暗闇に閉じこもっていました。

しかし、そこから出るのは簡単なことだったのです。
光が差せば闇は消えるしかないのです。
暗闇は光の前では存在できません。

闇の中でもがいているときは気づかなかったのですが、光が差した瞬間、闇は溶けてしまいました。

私の場合は、「理由のない幸せ」を知るために「理由のない不幸」を経験していたのだと思います。そのように、誰もが自分自身の人生のテーマを持って生まれてきて、そのテーマを通して成長していくのだと私は考えています。

ですから、今何かに悩んでいる人も、きっとそれはあなた自身のテーマに関係していて、それを乗り越えることで新しい未来が開けるのだと思います。

今がつらかったとしても、きっと明るい未来があると確信して向き合ってみてください。

自分らしく輝くために

自分の心の状態を選択できるようになったことで、何もなくても幸せな状態でいることができるようになりました。世界が何倍にも広がったような感覚です。不幸だったころは自分のことで精一杯で、周りのことに気を向ける余裕がありませんでした。それが不幸の一番の原因だということも気づかずに。

周りを見渡せば、道ばたに咲く花や、美しい夕焼けや、くつろぐ野良猫の姿が見つかります。
目を閉じると、頬をなでる風、鳥たちのさえずり、温かい夕げの香りに気づきます。
そんなささやかなことが無上の幸せをもたらしてくれるということを知りました。
ただ静かに世界を感じる瞬間が最高の贅沢なのだと知りました。

そういう状態でいるとき、私はありのままの自分を受け入れ、信頼できるようになります。そして、人のことも受け入れ、信頼できるようになるのです。

「誰もが自分の個性、才能、持ち味を最大限に発揮して世の中に貢献する」

冒頭にも書きましたが、これが私の理想の世界です。ひとりひとりが個性や持ち味を活かすためには、お互いが相手の良さを認め合うことが必要ですが、人は自分自身を受け入れることができないと、相手を認めることができません。自分とは違うところが目に付いて、それを恐れてしまうのです。昔の私がそうだったように、人と違っていることを不安に思い、自分の殻に閉じこもったり、相手を攻撃したりしてしまいます。

でも私たちは、お互いの違いを憎み排除することもできれば、その違いを認めて称賛することもできます。人と違うことは決して悪いことでも恥ずかしいことでもなく、世界を多様性のある素晴らしい場所にするために必要なことではないでしょうか。人と違うことに悩み苦しんできたからこそ、その大切さもわかるようになりました。

今では誰でもその人らしく輝けるステージが必ずあると信じています。

私はキャリア開発や人材育成の仕事を通して、自己理解を深めるということを専門にしてきました。子供のころから人と違うということに悩んできた経験から、人間の性格や行動特性などに自然と興味がわいたのでしょう。自己理解を深めるためのさまざまな手法やツールを学ぶなかで、自分自身の自己理解も深まり、そのたびに生きるのが楽になってきました。自分自身を知ることは他者を知ることにもつながり、相手の立場でものごとを見られるようにもなります。

人間ですから誰でも好みや好き嫌いはありますし、まったく共感できない考え方をする人もいるでしょう。それでも相手を認めることはできます。受け入れたり理解したりすることはできなくても、ただその人の存在を認めることならできます。そのことに気づいてから、私は生きるのが楽になりました。自分とはまったく違う個性をもった人の存在を認めるということは、自分自身を認めることでもあるからです。逆にいうと。自分自身を認めることができるようになったから、他人を認めることができるようになったといえるかもしれません。

違う性格、価値観、文化、背景をもった人々をお互いが認めあえるようになれば、この世界はもっと素敵な場所になると思いませんか。

せっかく同じ時代に生まれて出会った人々が争い憎しみあうのはもう見たくありません。愛と信頼と思いやりでつながった世界を実現するために、少しでも自分にできることをしたいと思って活動しています。

最後まで読んでくださりありがとうございました。