映画から学ぶ情報リテラシーの高め方

学び

こんにちは。じんびです。

先日、人は自分の都合のいいように世界を見ているという記事を書きました。
世界を歪めるフィルター

そして世界をゆがめるのは、自分自身だけでなく、
誰かによって見方がゆがめられるということもあります。

いずれにしてもゆがんだ見方をしているのは自分自身であることには
変わりはないのですが、誰かが何らかの意図を持って、
意見や考えをある方向に誘導しようとしている場合もあります。

今日はを映画を題材に、 そのあたりを解説したいと思います。

この前久しぶりに「アフタースクール」という映画を観ました。
10年くらい前の映画ですが、とても好きな作品のひとつです。
これは、最後のオチを知った後で、
もう一度最初から観たくなるストーリー。

最後に「だまされたーっ!」と清々しい気持ちになります。

この後は若干ネタバレを含みますので、
これから観ようと思う方は観てから読んでくださいね。

事前の情報なしで観た方が絶対におもしろいので。

さて、では続けますね。

冒頭のシーンで堺雅人さんと臨月間近の常盤貴子さんが登場します。
どう見ても、朝ご飯を食べる幸せそうな夫婦。
横にいる怖そうなおじさんは奥さんのお父さんでしょう。

しかし、最後まで観ると、この設定は見事に崩れてしまいます。

オチを知ってからもう一度見直してみると、
確かに二人が夫婦であるという描写は一切ない。
名前を呼び合うような場面もうまく避けて出てこないし。
シチュエーションから観る側が勝手にそう思い込んでしまうだけ。

よくよく見てみると、確かに嘘は言っていないんですよね。
巧みな表現で観る人をどんどんミスリードしていく。
そんなシーンがたくさんあります。

最後の種明かしがおもしろくて、
この監督の映画にはしばらくはまりました。
一度見終わったら、すぐにもう一度再生ボタンを押さずにはいられない。

2度目に観るときに別の楽しみができる映画といえば、
もっと古いものになりますが、忘れられないのが「シックス・センス」。
衝撃のラストでしたね。

そしてやはり見直してみると、
確かに直接会話しているシーンはないんですよね。
最初に観たときは全く違和感を覚えなかったけれど、
もう一度観てみると、本当にうまく、巧みに誘導されている。
気持ちいいくらい完全にだまされました。

2度目以降に観るときの楽しみ方は、
初めて観るときの楽しみ方とはまったく違います。

初めて観るときは、そのストーリーに入り込みます。
登場人物と同じ視点で、リアルタイムに物事が展開していきます。

しかし、2度目は少し視点がちがいます。
登場人物から一歩離れ、ストーリーが展開しているのを
一段高いところから俯瞰してみる感じです。

そうしてみると、オチに気付かれないように誘導する、
制作者の意図が見えてきます。

1度目は、いかに自分が狭い視野で思い込みで理解していたかがわかります。
視野が狭く目の前のことしか見ていないときは
選択肢がそれしかないように感じます。

この二人は夫婦だろう
このおじさんは妊婦の父親だろう
ヤクザが追いかけているのは写真に写った女性だろう

しかし、 1度目でわかったつもりになっていた思い込みは
ことごとく違っていたのです。

まあ、そう思うように巧みに誘導されているので仕方ないのですが、
まんまと思惑にひっかかってしまったということです。

しかし、2度目に俯瞰して見られるようになると、
ああ、ここでこう誘導されたんだ
あっ、ここ確かにおかしい
など気付くことがたくさんあります。

これは映画の話ですが、
私たちの日常でもこのようなことはよくあります。

視野が狭くなり、選択肢が限られているように感じてしまうとき、
ちょっと視点を変えてみると、自分がいかにとらわれていたかに
気付くときがあります。

新聞や雑誌の記事、ニュースや報道、テレビの情報番組、
SNSの投稿、企業広告や政治ポスター。

どんな情報にも発信者の意図が含まれています。
そのメッセージに込められた真の意味。
それを受け取った人が感じる印象。

そう思わせたい誰かがいるのでは?
そう気付くことが大切です。

映画であれば、楽しくだまされて、
「もっかい最初から観たい!」となりますが、
現実ではそうはいきません。

気がついたときには取り返しがつかないことになっているかもしれません。
日頃から、できるだけ視座をあげて、メッセージの本当に意味に気づき、
意図的に誘導されないように鍛えておくことが大事ですね。