人は本来幸せな存在である

幸せ力

10代半ばから20代にかけて。
私の心は暗黒の中にいた。

特に何か理由があったわけじゃない。
ただただ不幸だった。

理解されない悔しさ
本音を言えない苦しさ
誰ともつながれない寂しさ

そんな感情を持て余し、
自分はだめな人間だという劣等感と
周りはみんなバカばっかりだという傲慢さと
いったりきたりの毎日だった。

そんなとき、
ある精神科医の書いた本に心を救われた。
同じような思いで苦しんでいるのは自分だけじゃないんだ、と知った。

何も解決はしていないけれど、
自分は一人じゃない、
それを知っただけで楽になれた。

その医師が書いた本を、
むさぼるように何冊も読んだ。
来る日も来る日も。

その中に、印象的な文章があった。
正確には忘れてしまったが、意味としては次のような内容だった。

「何もなくても幸せを感じているのが普通の人の心の状態です」

まさか。
にわかには信じられなかった。
そのときの私の普通の状態は、何もなくても不幸だったから。

何もなくても幸せな人間なんているわけないでしょ、と思っていた。
そのときの私には何もなくても幸せという状態は想像もできなかった。

それから何年かして。
ある自己啓発系のセミナーに参加したときにも
講師の言葉に衝撃を受けた。

「家族も友人もいない、お金もない、仕事もクビになった。
あなたには何も残っていない。
それでも幸せでいられるのが本当の幸せだ」

そのときもまだそういう状態は想像できなかった。

でもこれらのフレーズは私に強烈な印象を残した。
それが本当だとしたら、どうすればその状態になれるのだろう、
私にもそうなることができるのだろうか、と
自分がそこに到達する可能性があるのかもしれないと思えた瞬間だった。

わずかながら希望が見えた気がした。
でも、どうすればいいのかはまったくもって分からない。

自分が今不幸なのには原因があるはずだから、
その原因を探って、
それを取り除かないと幸せになれないと思っていたから、
ずっと原因を探し求めてきた。

両親の夫婦仲も良く
家庭環境は悪くなかったし、
これというような外的な原因はなかった。

だから自分がそこまで不幸でいる理由が
ずっとわからなかった。

でも、
幸福や不幸は外からくるものではなく、
自分自身で作り出しているものだということがわかったとき、
すべてがひっくり返った。

「何もなくても幸せ」が可能ならば、
「何もなくても不幸」もあり得るということだろう。

そう。
私は特に理由もなく不幸な状態だということは、
「何もなくても不幸」を実現していることになる。

ということは、反転すれば「特に理由もなく幸せ」
つまり 「何もなくても幸せ」 な状態になれるということ。

長い道のりだったけど、
そこに気づけば簡単なことだったんだ。

ありがたいことに、
「何もなくても幸せ」は
一度体得すると二度と後戻りはしない。

あえて「体得」という言葉を使った。
なぜならこの種の幸せは頭で理解しようとしても難しいから。

〇〇があるから幸せ、
誰々がいるから幸せ、
そういう条件付きの幸せは、
頭の中に思考として存在するかもしれないけれど、
「何もなくても幸せ」は、
文字通り何もないので頭で考えることができない。

思考に邪魔させず、
心で気づくこと、感じることで体のなかに入ってくる。
どっと流れ込んでくる。

「人は本来幸せな存在である」

気づかせてくれたことに感謝している。