今日から”地雷”を踏まれたくなるかも
こんにちは。じんびです。
今日のテーマは「地雷」です。
「地雷を踏む」という比喩表現がありますね。
その人にとって一番触れて欲しくないこととか、
最もされたくないこと、言われたくないことを
他人が突いてしまうこと。
たとえの通り、突っついた人は爆発に巻き込まれます。
感情の爆発に。
突っつく方は知らずにだったり、
ついうっかりだったりすることもありますが、
大抵の場合は無意識的にわざと、だったりします。
無意識的にわざと、というのは語義矛盾かもしれませんが、
本人は頭で意識していないだけで、
それが相手の地雷であるとわかってやっているということです。
夫婦や恋人、親子など、親密な関係にある人ほど
地雷を踏んでしまう。
それは、相手の弱点をよく知っているから。
どこを攻めれば最もダメージを与えられるか分かっているから。
かくして親密な2人は今日もどこかでお互いの地雷を踏み合っているのです。
しかし、地雷を踏み踏まれるのは悪いことばかりではありません。
むしろ、自分の中にある課題に気づくチャンスだといえます。
そこをつつかれて怒りや悲しみなどの感情が爆発するということは、
そこに自分が乗り越えるべきテーマや課題があるということ。
それを解決しておかないと、
今後も何度でも、
同じようなシチュエーションで、
爆発が起こってしまうということ。
それはコンプレックスだったり、
過去のトラウマだったり、
自分でも気づかない認知のゆがみだったり、
何かしら原因があるはず。
だから、地雷を踏まれたときには
怒りながら、泣きながらも
心の中で「やった!」とつぶやきましょう。
そして、落ち着いた後、
「なぜあの一言であんなに腹が立ったんだろう」と考えてみる。
私の場合はこんな感じ。
先日仕事上のパートナーから、
私が行ったある手配の内容について
間違っているのではないかと指摘がありました。
それはその人の確認不足による誤解であり、
内容が間違っているわけではなかったので、
その旨を説明して誤解を解けばいいだけの話だったのですが、
その指摘が私の地雷だったらしく、
激しく不機嫌になり、大人げない態度を取ってしまいました。
どう考えても、過剰反応。
起こった出来事と、
それに対する感情的な反応のバランスが取れていません。
それが地雷というもの。
なぜそんな反応になったのかと考えてみると。
原因になりそうなことは2つ。
本当に間違っていたのであれば仕方ないけれど、
合っているにもかかわらず、誤解されてしまった。
こちらから伝える情報が不足していたことも否めないけれど、
もし相手が私のことを信用していたら、
そんな誤解はしなかったに違いない。
それはまた私の間違った思い込みなのですが、
そんなふうに考えてしまい、
「相手から信用されていない」と捉えてしまったことが1つ。
もう1つは、
その分野は私の専門領域であり、
自分より詳しくない人物に
間違っていると思われたことで
プライドが著しく傷つけられたこと。
なんと、小さい自分。
こうして冷静に分析してみると。
いかに無意識の思い込みや被害妄想で
自動的に反応してしまっているかがわかります。
そして、その背後には、
もっと深いところに
何らかの心の傷が隠れていることが多いのです。
見捨てられる不安とか
自分には価値がないという絶望とか
子供の頃に感じた生存を脅かされるような恐怖が根底にあります。
そこを刺激されるので、
生きるか死ぬかという本能的な反応が引き起こされてしまう。
それが刺激と反応のアンバランスとなるのです。
本能的な反応なので、
なかなかすぐに直せるものでもないのですが、
一度気づけば確実に変わっていきます。
そうやってひとつひとつ地雷を除去していく。
地道な作業ですが、
その繰り返しが私たちを自由にするのです。
一歩一歩生きるのが楽になっていくのです。
そんな未来を信じて。
今日もせっせと地雷を踏んでもらいましょう。










