過去と他人は変えられる

学び

こんにちは。じんびです。

ニーバーの祈りあるいは平安の祈りと呼ばれる祈りの言葉を聞いたことがあるでしょうか。

神よ、変えられないものを受け入れる平静さと
変えられるものを変える勇気と
その二つを見分ける知恵を
我に与えたまえ

いろんなバージョンがあるようですが、
ニーバーという人が作った祈りで、
アルコールや薬物依存症の克服支援プログラムなどで使われているものです。

自分の力では変えることができないものについて
あれこれ悩んでも仕方がありません。

自分で変えられるものと変えられないものを見極め、
変えられないものは受け入れ、
変えられるものは変えていく。

とても力強い祈りの言葉だと思います。

自分で何とかしようともがいていても状況は悪くなるばかり。
自分ではどうしようもないのだと気づき、その事実を受け入れたときに初めて
自分を変える勇気がわいてくる。

自分が変えられるのは自分だけだから。

「過去と他人は変えられない」

とよく言われます。

過ぎ去ったことをあれこれ悔やみ続けても仕方がないし、
他人を変えようと躍起になっても努力が実ることはほぼないでしょう。

繰り返しますが、
自分が変えられるのは自分だけなのです。

しかしながら、私は

「過去と他人は変えられる」

という立場をとっています。

なぜならば、
「過去」も「他人」も私たちの主観の中の存在だからです。

過去とはすでに過ぎ去ったもので、今ここにはありません。
それは自分の記憶の中に存在するにすぎないものです。
そして記憶とは非常にあいまいなものなのです。

子供の頃の出来事などで、家族や友達と記憶が食い違っていたという経験はないでしょうか。
同じ経験をしたはずなのに、それぞれが微妙に、あるいは全く違ったように覚えていることは珍しくありません。

アメリカの同時多発テロ9.11が起こった際、
事件直後から10年後までに記憶がどう変わっていくかという追跡研究のデータがあります。

それによると、事件が起こったときにどこで何をやっていたとか、
誰と一緒にいたかといった記憶が、事件直後と10年後では大きく違っていた事例があったそうです。

9.11のような重大な出来事にまつわる記憶でさえ、
時間とともに変わっていくということが明らかになっています。

今私たちが持っている記憶も、本当に正確なものなのかはわかりません。

ということは、それを逆手にとって、嫌な記憶を書き換えていくこともできるのではないでしょう。
過去に起こった「事実」は変わらないとしても、
その 「解釈」を変えることで、よい思い出にすることもできます。

「他人」についても同様です。
私たちは、他の人は自分とは関係のないところで客観的に存在すると思いがちですが、実はそうではありません。

彼らは単独で存在するのではなく、
あなたとの何らかの関係という条件設定のもとで、
主観的に存在するのです。

つまり、あなたが家族や友人、同僚、上司について考えるとき、
彼らは記憶の中に存在しています。

あなたがその人を好きであろうと嫌いであろうと、
あなたの中に存在するその人を見ているのです。

もしあなたがその人を嫌いだったとしたら。
その人との記憶のすべてが、その人を嫌いになるよう解釈されます。

もしあなたがその人を好きだとしたら。
その人との記憶のすべてが、その人を好きになるよう解釈されます。

それであれば、解釈を変えることでその人の印象も変えられるということですね。

それだけではありません。
先ほど自分が変えられるのは自分だけだ、と書きましたが、
自分が変わることで、周りの人も変わります。

変えられるものを変える勇気をもち、
自分が変えられる唯一のもの、自分自身を変えることで、
変えられないと思われた過去も他人も変えることができるのです。

それが「過去と他人は変えられる」と言った理由です。

自分が変われば世界が変わります。
変えられるものを変える勇気をもって力強く進んでいきましょう。